東京地方裁判所 昭和56年(ワ)5942号 判決 1985年9月17日
原告
池田セツ子
同
池田聡子
同
池田靖
右法定代理人親権者母
池田セツ子
原告ら訴訟代理人
坂口公一
被告
北原静夫
右訴訟代理人
高田利広
小海正勝
主文
一 被告は、原告らに対し、各金二〇万円及びこれらに対する昭和五六年六月五日から各支払いずみまで年五分の割合による各金員を支払え。
二 原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告ら
1 被告は原告池田セツ子に対し、金三四五三万一九三三円及び右内金三二二七万二九三三円に対する昭和五五年一月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は原告池田聡子及び同池田靖に対し、それぞれ金三二六〇万五九三三円及び右各内金三〇四七万二九三三円に対する昭和五五年一月三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行宣言
二 被告
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告池田セツ子(以下「原告セツ子」という。)は亡池田淳(以下「淳」という。)の妻であり、同池田聡子(以下「原告聡子」という。)及び同池田靖(以下「原告靖」という。)はいずれも淳の子である。
被告は、「アレルギー臨床研究所」、「北原診療所」(以下「被告診療所」という。)の名で医療を行う医師である。<以下、省略>
理由
一淳の死亡に至る経過等
<証拠>を総合すれば、以下の1ないし6の事実が認められる。
1 原告セツ子は淳の妻であり、同聡子及び同靖はいずれも淳の子である。また、被告は「アレルギー臨床研究所」、「北原診療所」の名で医療を行う医師である(このことは、当事者間に争いがない。)。
2 淳はアズマクリップル(気管支喘息片輪)とよばれる漫性重症型の喘息患者であり、昭和四二年ころから継続して被告の診療を受けていたが、昭和五四年四月一八日勤務先であつた旭硝子株式会社における集団定期検診の際にレントゲン写真の撮影を受けたところ、肺に陰影が認められ、更に肺の断層撮影を受けた結果、肺に異常があることが判明した。そして淳は、同会社の診療所の医師から呼吸器科の医師の診察を受けるよう指示されたので、かかりつけであつた被告の診察を受けることとし、同年五月七日の診療時間外に右撮影にかかるレントゲン写真数葉を持参した後、翌同月八日再び同診療所を訪れて被告の診察を受け、ここに淳と被告との間において、被告がその機能、知識及び技術の最善を尽くして右淳の肺の異常について治療にあたるという本件医療契約が成立した。
3 被告は、同月七日淳の持参した前記レントゲン写真を読影した後、同月八日淳を診察し、血液検査を実施した結果、その肺の異常につき「原発性肺炎の痕」と診断して肺炎の治療をすることとし、従前の喘息に対する治療としての副腎皮質ホルモンの投与に加えて抗生物質の投薬を行い、その後、淳は同月二五日に被告診察所へ通院したが、同日レントゲン撮影を実施したところ、その肺の異常は全く改善されていなかつた。しかし被告は、右の診断に再検討を加えることなく、更に前記と同様の喘息と肺炎治療のための投薬を続けた。
その後も淳は同年六月八日、七月四日、一〇日と被告診療所へ通院したが、肺の状態は少しも改善されず、かえつて同年七月に入ると息苦しさを訴え始め、また喘鳴が認められた。そして、同月一〇日に再びレントゲン撮影をしたところ、右肺下葉全体に滲出液の貯溜が認められたが、被告は「肋膜炎」と診断し、従来の治療方針を基本的に踏襲して、抗生物質、副腎皮質ホルモン並びに強心剤及び利尿剤等の投与を行つた。そして、被告は淳に対し勤務先を休んで自宅療養をするよう命じ、同人は同月一三日から自宅療養を開始した。
4 しかし、淳は、自宅療養を開始した後、被告の指示により同年七月一七日、二三日、二七日及び八月一日と被告診療所へ通院したが、同年七月中旬ころから呼吸困難の度が増し、また胃部がふくらみ始め、食事の量も通常の半分以下になつてしまつた。更に同月二〇日ころからは激しい咳や痰が出るようになつて夜もあまり眠れなくなり、背中や肩の痛みも訴えた。しかし被告は、従来の治療方針を変えることはなく、また、それまで血液、痰及び尿の検査は数回実施していたが、それ以上に新たな検査を実施することもなかつた。
5 そして、淳の右症状は日増しに激しくなつて行つたので、被告診療所の夏期休暇期間中であつた同年八月六日、原告セツ子が被告の自宅に電話をして右症状を説明し指示を仰いだところ、被告は、外科医に胸水(滲出液)を抜き取つてもらうよう指示した。
6 淳は、右の指示に従い、同月七日横浜市立大学附属病院胸部外科において約四〇〇〇ミリリットルの血性胸水を抜き取る治療を受け、その直後神奈川県立長浜病院に一時的に入院したところ、原告セツ子は、同病院の担当医であつた松村正典医師から淳が肺癌であり、しかも完全な手遅れである旨告げられた。
その後淳は、同年九月二五日、国立医療センターに転院したが、同年一〇月一〇日から意識障害となり、昭和五五年一月三日、肺癌により死亡した。
そして、右の各事実と、被告の淳に関する診療録である前記乙第二号証には、癌に関する記載が全くみられないこと、<証拠>を総合すれば、被告は淳の肺癌についての確実診断のためとみられる検査及び肺癌に対するものとみられる治療行為を全く実施していないことが認められること、<証拠>を総合すれば、被告は、淳の妻である原告セツ子、被告診療所に非常勤として勤務し被告不在のときは被告に代わつて医療行為を行つていた医師である訴外本多正、及び被告に淳の肺の異常につき診療を依頼してその結果の通知を求めた旭硝子株式会社診療室の医師である訴外松本坦のいずれに対しても、淳の肺癌につき通知し、あるいは治療方針を相談すること等を全く行つていないことが認められること、これらの各事実は、患者について肺癌を疑診していた医師の行動としては不自然という他はないこと、<証拠>並びに鑑定の結果を総合すれば、昭和五四年五月一日に淳の胸部を直接撮影したレントゲンフィルム(甲第七号証)において、淳の右下肺野に異常陰影がみられること、右陰影は五センチメートル平方以上の大きさがあり、その辺縁は不鮮明で、また陰影の濃さは一様でないこと、気管、肺動脈及び肺静脈の位置が右陰影によつて変化していないこと、大動脈の走行が極めて正常であるにもかかわらず右側上縦隔に突起が見られること、胸郭と横隔膜の作る角度のやや上に辺縁が割合鮮明なくびれた形の陰影が見られること、これらの特徴は同年五月一日に撮影した淳の胸部断層撮影レントゲンフィルム(甲第二一号証の一ないし一二)及び同年四月一八日に撮影した同人の胸部間接撮影レントゲンフィルム(甲第二三号証)においてもほぼ同様であることがそれぞれ認められること等の事実、並びに証人尾形利郎の証言及び鑑定の結果を総合すると、右甲第二一号証の一ないし一二もしくは甲第二三号証の各レントゲンフィルムを読影すれば、淳について肺胞内に浸潤してきている炎症(ビールス性肺炎もしくは非特異性の肺の炎症)もしくは肺癌を疑うことが昭和五四年当時の開業医の医療水準に照らして可能であつたこと、そして、被告が開業医であること及び昭和五四年五月七日に淳の持参した右甲第二一号証の一ないし一二のうちの六葉及び甲第二三号証の各レントゲンフィルムを読影したことは前記一で認定したとおりであるから、以上の諸事情を総合すれば、被告は本件医療契約締結時(同日八日)において淳の肺癌を疑診することが可能であつたこと、及びそれにもかかわらず、被告は、昭和五四年五月八日淳を診察した当時はもとより、その後淳が被告の診療所に通い続ける間にも、淳が肺癌に罹患していることについて疑いを抱かず、これに対するなんらの治療も施さなかつたものと認めることができる。
これに対して被告は、昭和五四年五月七日の時点で淳について非定型性肺炎か肺癌であると診断したが、淳は慢性重症の喘息患者であり、種々の原因で発作を誘発して死亡する危険があつたので、ある種の薬物投与、気管支鏡検査、気管支造影検査、気管支フアイバースコープ、末梢病巣細胞診及び外科手術による腫瘍の摘出などは不可能であつたと主張し、被告本人尋問の結果中にもこの主張に副い、前記の認定に牴触する趣旨の供述部分がある。そして、なるほど淳がアズマクリップルと呼ばれる慢性重症型の喘息患者であつたことは前記認定のとおりであり、このことと、証人尾形利郎及び同松村正典の各証言、被告本人尋問の結果、並びに鑑定の結果によれば、気管支鏡、末梢病巣細胞診等の検査法及び外科手術による治療法の実施は淳の喘息発作を誘発する危険性が高く、同人に対する検査及び治療手段としては必ずしも適切ではなかつたことが認められる。
しかし、証人尾形利郎の証言及び鑑定の結果によれば、肺癌の検査、治療方法としては、右のほかにも喀痰細胞診やレントゲン撮影等の検査法及び化学療法や放射線療法等の治療法のあることがうかがわれるが、これらの検査、治療方法が同人にとつて不適切であつたと認めるに足りる証拠はないことや、前記認定の諸事実及び前掲各証拠に照らすと、当時淳が肺癌であつたことを認識していた旨の被告本人の供述部分は到底措信し難く、その他同本人尋問の結果中前記認定に牴触する部分は採用し難い。そして、他に以上の認定を覆えすに足りる証拠はない。
二淳の救命可能性(請求原因7(一))
<証拠>を総合すれば、淳の肺癌は腺癌であつたこと、昭和五四年五月一日において、肺癌の腫瘤の大きさが五センチメートル平方以上であり、一〇〇ミリリットル以上の胸水が貯溜し、上縦隔右側のリンパ節の腫大(転移)があること、右各所見からすれば、同人の肺癌の病期はUICC(国際対癌連合)におけるTNM分類でT3N2で第三期に当たること、そして、千葉大学医学部肺癌研究施設における統計によれば、病期第三期の肺癌全体では肺切除例の五年生存率は一三・〇パーセントであることがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠は存しない。また、<証拠>によれば、胸水の貯溜した肺癌(前記分類のT3に該当する。)は、胸膜等に浸潤が進んでいるため、一般に根治手術は不可能であることが認められ<る>。
右認定の事実に、証人尾形利郎の証言及び鑑定の結果を総合すれば、肺癌のうち腺癌で前記分類におけるT3N2に該当するものは、少くとも昭和五四年当時の医療水準において救命することは一般的に不可能であつたと言わざるを得ず、したがつて、被告が本件医療契約を締結した昭和五四年五月八日における淳の救命可能性は、これを認めることができない。したがつてまた、仮に被告において本件医療契約上の債務不履行があつたとしても、そのことによつて淳の死亡に基づく損害について被告の責任を問うことはできず、原告らの本訴請求のうち、淳の逸失利益(請求原因9(一))、淳及び原告らの慰謝料(同9(二)(1)(2))中淳の死亡を理由とするもの、及び葬儀費用(同9(三))をそれぞれ求める部分はいずれも失当である。
三淳の延命可能性(請求原因7(二))
証人尾形利郎の証言及び鑑定の結果によれば、まず制癌剤、胸膜刺激薬剤等の化学療法については、一応淳の延命が期待できないではないがその確度は必ずしも明らかではないこと、腺癌に対する制癌剤の投与はその組織亜型により感受性に差があるためその効果は一律ではなく、また制癌剤の使用により免疫機能が低下してかえつて死期を早める危険性もあること、淳の罹患していた胸水系肺癌に対して効果があると思われる制癌剤は昭和五四年当時には存在していなかつたこと、腺癌には分化型と低分化型があり、淳の腺癌は低分化型であつた可能性が高いと考えられるところ、昭和五三年までの国立がんセンターの統計によれば、がん性胸膜炎、胸水系肺癌の患者の生存期間は治療後一か月から三五か月までの範囲内であり、化学療法及び免疫化学療法を施した症例における五〇パーセント生存期間(治療を施した患者の五〇パーセントが生存している期間)は分化型は七・二か月であるが低分化型は三・六か月であるところ、淳の腺癌は低分化型であつた可能性が大きいこと、次に放射線療法については、右統計によれば胸水系肺癌には全く効果がなかつたこと、そして手術療法については、右統計によれば胸膜肺全切除手術を施行しても胸水系肺癌の場合はいずれも一〇か月以内に死亡していること、胸膜を癒着させて胸水貯溜を防止する処置及び胸腔内ドレナージには延命の可能性が考えられるがその確度は必ずしも明らかでないことがそれぞれ認められ、これらの認定に反する証拠は存しない。
また、<証拠>によれば、ある統計では、前記TNM分類における第三期の症例について、治療方法によつて平均的な治療成績(治療後の生存期間)に差のあることが認められ、このことは、前記二のとおり病期第三期であつた淳について適切な治療を施していれば、同人の延命をはかることができたと考える一根拠となりえないものではない。しかし、この点について仔細に検討してみると、なるほど同号証によれば、前記統計におけるTNM分類T3及びN2の各症例において最も治療成績が悪いのはいずれも手術療法のみを実施した場合(以下「前者の場合」という。)であり、最も良いのはいずれも手術療法に放射線療法及び化学療法を併用した場合(以下「後者の場合」という。)であるところ、右各症例における一定割合の患者が治療後生存している期間の差は、その割合が低下すればする程より大きく開き、例えば二〇パーセント生存期間の比較では、T3の症例においては前者の場合は約一〇か月であるが後者の場合は約三年二か月であり、N2の症例においては前者の場合は約一年であるが後者の場合は約三年二か月であることが認められる。しかし、右の統計的事実は少数割合の患者について治療方法の選択が治療成績に大きな差異を生ぜしめることを示すものにすぎず、かえつて同号証によれば、右差異は生存割合の増加にしたがつて急速に減少し、前記統計における五〇パーセント生存期間の比較においては、T3の症例では前者の場合は約八か月であるところ後者の場合は約一年一か月であり、N2の症例では前者の場合は約八か月であるところ後者の場合は約一年三か月であることが認められる。そして、右の各治療成績の差は必ずしも有意のものと断定することはできないから、右T3の症例においてもN2の症例においても、少くとも半数の患者については、治療方法により治療後の生存期間に相当程度の差異を生ぜしめるということはできないのである。
以上説示した諸事情に、前記のとおり淳の肺癌の病期がTNM分類におけるT3N2の第三期であつたと認められる日(昭和五四年五月一日)から死亡日(同五五年一月三日)まで約八か月間同人が生存した事実も合わせて考察すれば、本件医療契約締結時において、淳に対する医療行為により同人の死亡を遅らせる可能性も一応考えられないではないとしても、その可能性の程度及び延命期間については必ずしも断定し難い。したがつて、淳の死期が早まつたことに基づく損害についてもまた、被告の本件医療契約上の債務不履行の有無にかかわらず、その責任を問うことはできず、原告らの本訴請求のうち、淳及び原告らの慰謝料(請求原因9(二)(1)(2))中淳の死期を早められたことを理由とするものを求める部分は失当である。
四淳の期待権の侵害(請求原因7(三))及び被告診療所へ通院させたこと(同(四))について
1 原告は、前記のとおり、淳の救命及び延命が不可能であつたとしても、被告はその債務不履行により、十分な治療を受けたいという希望を裏切られ、救命ないし延命に対する期待権を侵害されたと主張するので、この点について検討する。
思うに、医療の依頼を受けた医師としては、当該患者について本件における肺癌のような重大な疾患があることを疑診した場合においては、通常、依頼者である患者に対し、可能な限り適切な検査を施して確定診断を行つたうえ、その結果に基づいて、医療水準上可能な治療を施してその救命、延命をはかる義務を負うものであることはもとよりであるが、たとえ救命又は相当期間の延命について治療効果があるとの確信が得られない場合であつても、その可能性が皆無でない限り、考えられる治療のため最善を尽すべく、また、患者が本件のように重大な合併症を有し、あるいはその疾患の進行程度等により、その治療方法が危険を伴うとか、その効果について疑問がある場合においては、その患者又は家族に実状を説明し、患者又はその家族側において、治療方針についての選択又は専門医への転医等の機会を与えるなどして、その治療及び看護について最善を尽し、心残りのないように万全を期すべき義務を負つているものと解するのが相当である。
したがつて、当該医師が肺癌のような重大な疾患を看過し、そのために当該患者が適切な治療、看護の機会を奪われたときは、たとえこれによつて救命又は相当期間の延命がはかられなかつたことが認められない場合においても、医師による前記義務の不履行によつて右の機会を不当に奪われたことによつて受けた精神的損害についてその慰謝料の賠償を求めることができると解するのが相当である(原告が期待権の侵害と称するのもこのような趣旨をいうものと解される。)
2 本件についてこれを考えてみるに、まず、被告が淳の肺癌を疑診することが可能であつたにもかかわらず、これを全く認識することなく、肺癌に対する検査及び治療その他の処置を全く実施せず、ひいて淳をして適切な治療、看護を受ける機会を奪つたものであることは、前記の認定から明らかであるところ、前記二及び三で説示したところに照らせば、被告が淳を診断した時点において、同人につき救命ないし相当期間の延命をする可能性が皆無であつたと断ずることはできないものというべきであり、また、淳は、自宅療養を開始した後、昭和五四年七月中旬頃から呼吸困難が強くなり、同月二〇日頃からは激しい咳や痰が出るようになつて夜も眠れなくなり、背中や肩の痛みを訴えたが、そのような状態で被告の指示より同月一七日、二三日、二七日及び同年八月一日と被告診療所へ通院したことは前記一4において認定したとおりである。そして、<証拠>によれば、右の通院は、右のような病状悪化の中で暑い盛りに横浜市の自宅から東京都文京区本郷の被告診療所までタクシーと電車を乗り継いでなされたものであり、これにより淳は相当程度の苦痛を受けたことが認められ、この認定を動かすに足りる証拠は存しない。
ところで、本件においては、被告が淳の肺癌を疑診していれば、同人の体力の消耗を防ぎ、全力をあげてその検査及び治療にあたるために同人を被告診療所へ入院させ(同診療所に入院施設があることは<証拠>により認められる。)、あるいは他病院へ転医させる処置をとつたであろうことは十分考えられることであるから、結局これらの事情も、被告の前記誤診により、淳が適切な看護の機会を奪われたものとして、その慰謝料算定上考慮されるべきものと解するのが相当である。
そして以上諸般の事情を総合勘案して、被告の前記誤診により適切な治療、看護の機会を奪われたことによる精神的苦痛を金銭に評価すれば、金六〇万円と認めるのが相当である。
五弁護士費用(請求原因9(四))について
<証拠>によれば、原告らは、本訴代理人弁護士坂口公一に対し、本訴の提起及び追行を委任し、その報酬として認容金額の七パーセントの金員を支払う旨約したことが認められるけれども、本件事案に徴すれば、右の弁護士費用は被告の淳に対する前記債務不履行と相当因果関係を有する損害と認めることはできない。
六原告らの固有の慰謝料について
原告らは、本訴において、被告の債務不履行を理由とする固有の慰謝料(請求原因9(二)(2))を請求するが、淳と被告との間の本件医療契約の当事者でない原告らが右契約上の債務不履行により固有の慰謝料請求権を取得するものとは解し難いから、右固有の慰謝料を請求する部分はその余の点につき判断するまでもなく失当というべきである(なお、右請求のうち、淳の死亡及び同人の死期を早められたことを理由とする慰謝料を求める部分が被告の債務不履行との間の相当因果関係が認められないため理由のないことは、前記三及び四において説示したとおりである。)。
七相続関係
以上によれば、淳は被告の債務不履行により、同人に対し、金六〇万円の損害賠償請求権を取得したことになるところ、淳は昭和五五年一月三日死亡し、原告セツ子は淳の妻であり、同聡子及び同靖はいずれも淳の子であることは前記一のとおりであるから、原告らは、淳の死亡により右損害賠償請求権を各金二〇万円宛相続したものである(昭和五五年法律第五一号による改正前の民法九〇〇条)。
八遅延損害金について
右損害賠償請求権は債務不履行を理由とするものであるところ、本件訴状の送達前に右請求権に基づく請求が被告に対してなされたことについては主張立証がない。したがつて、右請求権に関する民法所定の年五分の割合による遅延損害金についての原告らの請求は、本件訴状送達日の翌日である昭和五六年六月五日(このことは当裁判所に顕著である。)から右請求権の支払いずみまでを求める部分のみ理由があり、その余の部分は失当である(民法四一二条三項)。
九結論
よつて、原告らの本訴各請求は、本件医療契約上の債務不履行に基づく損害金各二〇万円及び右各金員に対する弁済期である昭和五六年六月五日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行宣言については、相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小川英明 裁判官原 啓一郎 裁判官松津節子は差支えにつき署名押印できない。裁判長裁判官小川英明)
定年後の収入表<省略>